サイレント


 冬だっていうのに、窓を開けたまま空を見上げてぼんやりとしていた。
たぶん深夜一時は過ぎた頃かもしれない。明かりも暖房もつけないまま、冷たい
フローリングの床に膝を組んで座ると、開け放した窓の外をずっと眺めていた。
冷たい風が吹き込み白いカーテンが揺れて、あたしの体温を奪っていく。
窓の外には冬銀河と白い満月だ。満月の上を雲が線のように通り抜けていくこと
がある。あたしは膝を抱え丸まるようにしてそんな月を見上げて、泣いていた。
 泣くっていっても悲しいわけじゃない、声を上げて泣くわけじゃない。
理由もなく泣くことは、誰にでもあると思う。サイレンの音も車の騒音も聞こえ
ないような夜に、こんなことをしていれば意味がなくても泣けてきてしまうこと
もある。
足も、手も指先がすごく冷たくて、でも寒さは感じない。ショーツ一枚、ロング
の長袖ブラウス一枚。そんな格好なのに寒くはない。
たぶん、麻痺だ。感覚とかだけじゃなくて精神的な麻痺だ。
 真っ暗な部屋の床には、携帯電話が転がって七色の光を放っている。
ああ、メールが着信しているんだな、そんなことぐらいわかっているけど携帯を
触る気にすらならないし、誰かと話したい気分でもない。
でも、すごく寂しい。孤独だ。誰かに会いたくて誰かに触れたくて、誰とも会い
たくない。
なんか、キスの感覚ってどんな感じだったかな、セックスする前とした後の気分
ってどんな感じだったかな。思い出せない。
いつもやっていたことなのに、つい数日前にもしたことなのに、あたしって無意
識に生きてるのかな。
 たまに感じることがある。
あたしはすごく無意識に生きていて、生きていることすら忘れているんじゃない
かって。今もたぶん、近い状態だ。
自分自身が曖昧に感じて、稀薄に思えてきて、例えば腕とかを切ってみたりする
と、スーッと血が滲み出てきて流れ落ちていく。
切った瞬間は何も感じない、しばらくしてジワジワと疼きを感じる程度。
ああ、たぶん生きてるっぽいな、とか思いながら別にそれ自体に意味とかは見出
せてない。
よく、リストカットは精神的な病気だとか自殺願望だとか理由付けをしたがる人
はいるけど、世の中には理由がないこともある、と学んだ方がいいと思う。
 別にあたしは死に急いでもいなければ、死ぬ予定もない。日常生活に不具合が
出るほど壊れてもいない。ただ、稀薄になっていることは理解してる。
長く生きてようと短く生きてようと、自分自身が希薄で曖昧に感じる夜がある。
耐え難い苦痛のようであって、まるで死に至る病のようなものにも感じるんだけ
ど、別にそれで死んでしまうことなんて実際はない。狂ってしまうこともない。
僅かひとにぎりの人達だけが耐えきれずに、ベランダから月に向かって飛んでみ
てしまうだけだ。
 耳鳴りがする。まるでベース弦を弾いたような低い低い音が耳の奥から聞こえ
てくる。独り言でも良いから声に出してみると、その瞬間だけ耳鳴りが止んだ。
耳鳴りはむなしい時間を満たしている、時の音だと思うと素直に理解が出来た。
いまこの瞬間、ベランダの向こうからあたしに差し伸べられる、誰かの白い手、
なんてない。
別に、あたしは誰かに助けてもらいたいわけじゃないし、誰の手かもわからない
ものにまで助けを求めるほど、あたしは弱いと思いたくない。
 耐え難い孤独な夜は、好きにはなれないけど恐ろしくはない気がする。
どんなに眠れなくても、明日の昼には机の上で眠りこけているだろうし、傷から
流れ落ちる血も、自然に止まり傷は塞がっていく。
良くも悪くも、終わりはそうやって唐突に訪れて、そのうちいくつかは忘れてい
ってしまう出来事の、ひとつになる。
 不愉快で、むなしくて、叫びたくなるけど…こういう夜は、やさしい夜だと思
う。いつも以上に、誰よりも、自分自身にやさしくなれる。
耐え難い苦痛と孤独の狭間、その四時間にやさしい夜が挟まっている。
きっと、明日はまた無駄なことを繰り返す。
でも、それが生きていることなんだと気づけるのは、あたしにとっていつなんだ
ろう。
 月明かり。雲はにわかな風に流され、快晴。
気分だけが晴れないままやさしい夜は続いている。それも、進行中。

Fin.