夕立 |
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| あたしがフェイと出逢ったのは下校途中の激しい雨の中だった。 叩くような激しい土砂降りの雨に打たれながら、彼女はあたしの行く先に立ちはだかるように佇 み、傘、入れてくれるかな? と呟いた。 フェイはあたしよりも遥かに背が高く、あたしと同じような高校の制服を着ているのに、まるで何か が違っていた。 フェイはあたしの傘に入り込んでくるとあたしの顔を覗き込むように上から顔を近付け、フェイだ よ、と呟いた。それが彼女の名前で、あたしはそのときにフェイの名前を初めて知った。 あたしは、金井優穂、と自分の名前を呟くとフェイは、金井優穂、とあたしの名前を何度か繰り返 してあたしにキスをしてきた。 あたしは初めて同性にキスをされたことと、突然キスされたことに驚いていると、キスされた瞬間に ストロベリー味の飴を口移しされているのに気付き、更に驚いた。 あたしは17年ぐらいのいままでの人生で、口移しなんてされたことがない。キスだって何度かしか ないし、男の人とあんまりつきあったこともない。 フェイはあたしが驚いているのを嬉しそうに眺めながら、ストロベリィ、と笑った。 フェイはとても綺麗なのに、喋り方がおかしい。でも、それ以上にミステリアスな人だと思う。毎日 毎日同じ道を通って登下校していたけど、まるで初めて会う人間だし、フェイとは一度もすれ違っ たことさえなかった。 それに、フェイはあたしとはまったく違う次元で物事を考えて、脳も違うかたちで使っている気が する。発想がまったく違いすぎる、ということ。 あたしが舌を出して、その上に乗っかった飴を見せるとフェイはニコニコと笑って、それ私の、と言 ってあたしの舌に舌を絡めるようにして、飴だけを持っていってしまった。 フェイは飴を口の中でコロコロ転がしながら、どこに逃げちゃったのかと思ったよ、と嬉しそうに笑 っていた。 あたしが、あなたはどこまで帰るんですか? と尋ねると、あなた? 私はフェイだよ。あなた、 じゃないよ、と言うので、フェイはどこまで帰るんですか? と聞き直すとフェイは、金井優穂のお 家まで、と言うので、初めて会った人を泊めるわけにはいかないですよ、と言うとフェイは、1日だ けだよ、あと16時間ぐらい、と言ってあたしの腕を強く掴んでフンフンと鼻歌のようなものをあたし の耳許で聴かせた。 あたしは仕方ないな、と思いながらフェイをとりあえず家まで連れて行こうと思いそのままゆっくり 歩いた。家まで連れて行けばゆっくり喋れるだろうし、電話もあるから。 フェイは雨と汗で首筋がとても濡れていて、それでも体臭なんて全然しなくて檸檬の匂いがし た。あたしは汗をそれほどかかないけど、エイトフォーという制汗デオドラントのスプレーを使って いる。あたしの通う学校では制汗デオドラントのスプレーが限界で、香水を使うのは校則で禁じら れているからだ。でも、周りの人は香水を色々使っているし、あたしも使えばいいんだけど、あた しは校則を破って香水を使っても、別に特をすることもないから使わないんだと思う。 あたしは汗なんてかかないくせに、汗臭くないかな、とかフェイはあたしの匂いが気にならないか な、とか無意味な心配ばかりしていた。 あたしの汗の匂いなんかよりも、突然の雨で舞い上がった埃臭い空気の匂いのほうが、よっぽど も気になるはずなのに。夏の匂いだ。雨の降り始めと、雨上がりの空気は埃の匂いがする。 フェイはあたしの横でフンフンと鼻を鳴らしていたけど突然あたしの肩を叩いて、雨の日はカエ ルが出るんだよ、だから夏はカエルを飼うよ、と囁くと、でも見あたらないね、と言ってまた鼻をフ ンフンと鳴らし始めた。 帰り道、ずっとくっついたまま歩いているのに、あたしはフェイに話しかけることができなかった。 あたしがよく喋る方じゃないから、とか友達がそれほど多い方じゃないから、とかそういうことじゃな くてフェイとはどんなことを喋ればいいかがまったくわからなかったからだ。 まったく会話らしいことをしないままあたしの街が近づいてきて、あたしのよく知っている商店街が 近づいてきて、そしてその商店街の中にあるあたしの家へと着いてしまった。 雨は相変わらずの土砂降りで、あたしの家の前を通るアスファルトの道の黒い表面で激しい雨粒 が弾け飛んでいた。 あたしの家は焼肉屋をやっている。店の1階が食堂になっていて2階と屋根裏は住居になって いる。あたしの部屋は屋根裏の部屋だ。 家に入るには店になっている食堂の部分を通る方法と、建物の裏にある階段を上る方法があるけ どあたしはいつも店に顔を出してお母さんとお父さんに声をかけてから自分の部屋に入ることに 決めている。 あたしがいつものように店の入口から入り、ただいま、と声をかけるとお父さんとお母さんが、遅か ったね、と言うので、色々あって、と答えるとお母さんが、雨の日に遊んでると事故に遭うからね、 気をつけなくちゃいけないよ、と言うので、そうだね、とだけ答えた。 あたしの後ろでフェイがキョロキョロと辺りを見ながら、お店だよ、と言うので、ここがあたしの家 だよ、と教えると、フーン、と言ってあたしの手を強く握った。 それを見たお母さんが、お友達? と聞いてくるので、一応、と言うとお母さんは、そう、初めて見 る子ね、どこの子? と聞くのであたしは、どこだろう、と呟くとフェイが森林のある住宅街の名前 を答えたのでお母さんが、ずいぶん遠くから来たんだね、と言うとフェイはニコニコ笑いながら、こ の近くまで用事があった来たんですけれど、突然雨に降られてしまって困っていたら、優穂さん が声をかけてくれたんです、といままでとはまったく違う口調で喋っているのであたしが驚いてい るとお母さんが、優穂もたまには人の役に立つのね、と笑いながら、ずいぶんしっかりした子を連 れてきたわね、と笑った。あたしは何が起こっているのかよくわからずにいるとフェイがあたしの手 を握ってクスクスと笑っていた。 あたしはぼんやりしながらフェイを連れて店の奥にある階段を上って自分の部屋がある屋根裏 に行こうとすると、折角だから一緒に夕ご飯を食べていってもらいなさい、カルビとキムチを用意し てあげるからね、と背中越しにお母さんの声が聞こえた。フェイは、お肉、と呟いて何度も後ろを 振り返っていた。 あたしは何も喋らずにフェイを屋根裏の部屋に連れて行くと、濡れたスカートをハンガーに掛けて 干し、エアコンのスイッチを入れた。 あたしはフェイに見えないように後ろ向きにブラウスを脱ぎシャツを頭から被るように着ると、フェイ が床に転がっていた電池で動くブタのヌイグルミを触って、ブウブウ、と話しかけていた。 ブタのヌイグルミは、あたしの家の店によく食事に来ていた美香ちゃんというあたしと同じぐらいの 歳の子がくれたもので、美香ちゃんは横濱を離れると言ってそれをくれた日以来、店には来なく なった。 あたしはフェイの姿を見ながら、それはスイッチを入れなきゃ動かないよ、と言うとフェイはヌイグ ルミを抱き上げてお腹に突いているスイッチを入れると、それを床に戻して嬉しそうにしていた。 ブタのヌイグルミが鳴きながら床を歩くとフェイもその後について、ブウブウ、と言って楽しそうにし ていた。 あたしはいまこうやっているフェイとさっきお母さんの前で喋ったフェイが同じ人だとは思えな い。あたしはフェイを眺めながらそんなことを思っていると突然フェイがあたしの顔を覗き込んで、 金井優穂の部屋はとても綺麗だね、何にもないよ、と言うので、あまり欲しいものとかないし、部屋 がゴチャゴチャしているのって好きじゃないのよ、と言うとフェイは、でも大きなテレビがあるよ、と 言うので、それは商店街の抽選会で当てたんだよ、と言うとフェイは、大きなテレビでピングーを 見ると楽しそうだね、と言うので、ピングー好きなの? と聞くと、ファンファン、とピングーの鳴き 声を真似た。 あたしは思いきって、さっきお母さんの前で普通に喋っていたよね? と尋ねるとフェイは首を 傾げながら、あー、と言って頷いた。 あたしは、ああいった喋り方もするの? と聞いてみるとフェイは、疲れるからあまりしないよ、と言 って床を鳴きながら歩き回っているブタのヌイグルミのスイッチを切ると、また遊ぼうね、とそれを あたしの本棚の空いている場所に置いた。 あたしは、何でお母さんの前でああいう喋り方になったの? と聞くとフェイは笑いながら、金井 優穂はあんまり深く考えちゃダメだよ、あんまり考えると頭が痛くなったり泣きたくなったりするんだ よ、と言ってあたしの頭を撫でると、乾かしていいかなあ? と言ってあたしの目の前でブラウスと スカートを脱ぎ始めるとそれを床に広げるように置いて、髪も濡れたよ、と笑った。 服を脱いで、下着だけになったフェイは驚くほど体が細くモデルのようなスタイルだった。脚も細く 締まっていてとても長くて、あたしはそんな綺麗な体の人を実際に見たのは初めてだから、何だ か溜息ばかり出てしまって、たとえフェイの胸がとても小さくてもあたしはフェイのスタイルの良さ に驚いてしまった。 フェイはあたしの背後にすっと移動するとあたしを抱きしめるように後ろからあたしの胸の前に 腕をまわすと、ンー、と鼻で声を漏らしてあたしの胸を触って、柔らかいね、お餅みたいだね、と 言ってあたしの胸を触ったり撫でたり揉んだり遊ぶように手を動かしながらあたしの耳にかかった 髪を鼻先でよけると、そのまま耳朶や耳の縁に唇を滑らしたり舌を這わせたりして、最後に歯を立 てた。あたしは、同性同士でこんな経験はしたことがないしセックスも数えるぐらいしかしたことが ないから、本当に心臓が痛いぐらいに音をたてて胃がヒクヒク痙攣するみたいで、パニックに陥り そうだった。 あたしがセックスした回数は8回だ。経験した人数は3人。初めの人とはデイタイムサービス2千 円のラブホテルで1回、次の人とはその人の部屋で3回、最後の人とはあたしの部屋で1回、その 人の部屋で3回だった。フェラチオを覚えたのは最後の最後だ。 その日は口の中も、舌の裏側も、喉の奥も、胃の中も全部が気持ち悪くて、イソジンのうがい薬で 何度もうがいして、ミントの歯磨き粉で何度も歯を磨いたのを覚えている。 最後の人は優しくて、本当に好きだったのに、精液は凄く臭くておかしな味がして、特に好きでも なかった最初の男と同じ種類の体液なんだ、と思うとすべてが悲しくなって手首を切った。 初めて手首を切ったのは中学2年の5月の頃だ。あたしは何で虐められているのかわからなく て、でもそのときのあたしは虐められていて、悲しくて死にたくて、消えてしまえと思って手首を切 った。手首を切った瞬間と、血が流れ落ちている間だけあたしは生きていてその瞬間は、まだあ たしは生きてるんだ、と思ったりもした。 初めてのセックスの後も手首を切った。ラブホテルのトイレの中で、お腹が痛くて頭が痛くて、泣 き叫びそうになるのを我慢するためにポケットに入っていたボンナイフで手首を切った。 初めての男はあたしとのセックスが終わるとすぐにシャワーを浴びて、フロントから冷凍ピザをあた しに取り置いて、食べ物と飲み物のお金は全部済ましておくからね、体が楽になるまで寝ていれ ばいいよ、と言ってそのまま部屋を出て行ってしまった。だからあたしは泣きながらトイレで手首を 切るしかなかった。そのとき、中学の頃あたしが何故、虐められていたか理由がわかった。原因は あたし自身だ、でもあたしは悪くはないし、周りの人間もそれほど悪くはなかったと思う。 つまらない差別をするしかない、その程度の倫理観や道徳観しかない環境や、そういった人間を 育てていったこの国が悪いんだ。 フェイはあたしの体を抱いて肩に顎を乗せると、金井優穂は震えてるの? 痛い? 私は痛 いこととかしないよ、そう言ってあたしの腕を掴んで左手首を持つと、それを口元に近付けてあた しの腕に刻まれたためらい傷の痕に舌を伸ばして舐め始めた。 フェイはあたしの腕を舐めながら、かわいそう、と呟いていたけどフェイの腕にはあたしなんかより もずっと深い傷があって、あたしが小さく声を漏らすと、壊れちゃうと痛みを感じなくなっちゃうん だよ、知ってた? 痛くないから、思い出さなきゃいけないんだよ。不安になったら指を噛んで、 痛いと思えばまだ大丈夫、血の玉ができればまだ大丈夫、そう呟きながらあたしのシャツを脱が せると、一瞬でブラを外しショーツを降ろしていた。フェイの細い指先があたしの下の毛に絡ん で、あたしの中身を弄っている。 あたしはその手を掴んで、ダメだよ、いけないことだよ、と呟くと、大丈夫だよ、とフェイが囁きあ たしに肩越しのキスを求めた。 あたしはフェイと舌を絡ませながら、悪いコトじゃないのかな? とろれつが廻らない呟きをする と、気持ちいいことはいいことなんだよ、とフェイが言ってあたしの舌を強く吸った。 フェイの口からあたしの舌が抜け出すと、フェイの舌とあたしの舌の間に涎の橋が架かっていて、 フェイはあたしの下半身を弄りながら、金井優穂は可愛いのに、そうやって悲観して、セックスも 好奇心も生きることへの衝動も、総てを捨ててしまうのは勿体なすぎる、金井優穂が思っている以 上に金井優穂を好きになってくれる人はたくさんいると思う、だから20歳の誕生日までは生きなさ い、子供は自由なんだから、と信じられないほどしっかりした口調で静かに囁くとその場に座り込 んでしまって、あたしがそれに驚いているとフェイは小さな声で、ここまでかな、もう無理だよ、金 井優穂のために頑張って喋ったんだけど、疲れたなあ、と言って笑い、こんなに難しいこと喋るの はもうイヤだよ、頭が痛くなるよ、と言って立ち上がると中腰になって角度のついた右膝を少し前 に出して、金井優穂は私の膝を跨ぐんだよ、と言うのであたしは言われるとおり膝の辺りを跨ぐと、 膝の上に擦りつけてごらん、気持ちいいよ、と言ってあたしの腰に手を当ててグイッと引いて、あ たしの股間を膝に密着させると、騎乗位みたいに自分で腰を動かして擦るんだよ、と言ってあた しの腰を揺さぶった。あたしの濡れてしまっていた下半身はフェイの膝に吸いつき、ヌルッヌルッ と滑りながら摩擦を始めた。 こんなことをしたのは初めてだったし、膝の上でオナニーをさせられるなんて思わなかったから 恥ずかしくて顔を真っ赤にしていると、可愛い可愛い、と言ってあたしの胸で遊び始め乳首を吸 ったり乳輪を舌でなぞっていったりした。 あたしがブルブル震えながら、膝をガクガクさせオナニーをしていると突然フェイがあたしの乳首 に噛みついて、あたしは驚いて腰から崩れてしまうとフェイはあたしに覆い被さるように、手を床に ついて体を支える格好であたしの顔を覗き込んでいた。長い髪で顔の半分が隠れ、あたしの顔 や床にもその髪は垂れている。 フェイはあたしの噛まれた乳首に舌を這わせながら強く吸い続けると、あたしの唇に自分の唇を 重ねて、舌で唇を開くと涎を流しこんできた。フェイに口移しされた唾液は鉄臭くて、血の味がす る。フェイは笑顔で、金井優穂の血だよ、血が出るってことは生きているんだよ、と言ってあたしの 首筋や頬や耳を舐めると、金井優穂がこのまま死なないで生きていれば、また会うと思うから、今 度会ったら最後まで続きをしようね、と言って体を起こし、床に広げてあったブラウスとスカートを 掴んでそれを手早く身に着けると、金井優穂はまだ死んでいるから、セックスをしても本当に気持 ち良くはないんだよ、ちゃんと生きているときに、セックスしようね、と言ってあたしが脱ぎ捨てたシ ャツや下着を取って渡してくれた。 あたしが起きあがって下着やシャツを身に着けている間、フェイは床に体育座りをしてずっとあ たしのことを楽しそうに見ていた。 あたしがシャツを着終えると、雨の日はこうやっていると楽しいよ、とフェイが声をかけてきた。 あたしが、どうやっていると楽しいの? と聞くと、こうやって膝で手を組んで座ってるの、部屋の 真ん中はダメだよ、不安になるからね、部屋の端っこでこうやって座って雨の音を聞いてると楽し いんだよ、と教えてくれた。 あたしは雨の日に黙って雨の音なんて聞いていたら鬱状態が悪化して、首筋を切って死んでしま う、と思う。だから、あたしは雨の音はダメだよ、と言うとフェイは、フーン、と言って立ち上がり自分 の鞄を取ると、もう帰ろうかな、と呟いて部屋の中をキョロキョロと見回していた。 あたしは、お母さんがフェイにカルビを出してくれるって言っていたでしょ? 食べていかない の? と聞くと、私はお金を持ってないからダメだよ、と言うので、お金はいらないから一緒に食 べていけば? と言うと、タダで食べられるの? 嬉しいなあ、と言いかけて、でもやめておくよ、 美味しいものはお母さんと一緒に食べたいからね、私ひとりで食べるのは勿体ないよ、と言って、 かわりにあれが欲しいんだけど、とフェイが本棚に置いたブタのヌイグルミを指差した。 あたしは、古いおもちゃだよ、あれでいいの? と聞くと何度も頷くので、あたしは本棚からブタ のヌイグルミを取ってフェイに渡すと、動かなくなったら電池を替えればまた動くからね、と教える とフェイはヌイグルミを抱いたままニコニコ笑っていた。 あたしはせっかく渡したヌイグルミが濡れて壊れたらしょうがないからビニール袋に入れて換えの 単2の電池もあげると、フェイは自分の胸ポケットをガサゴソ探って、ガラス玉のようなカラフルな 飴玉を取り出すとあたしにそれを手渡して、甘くて美味しいよ、と言ってニコニコ笑っている。 あたしは最初、頭がおかしいのかわからないけど嫌な女だ、と彼女を思っていたけれどこうやっ て無邪気に笑っているのを見ていると、いきなり帰る、と言いだしたことに少し寂しさを感じた。 あたしは、駅まで送っていこうか? と聞くとフェイは、いいよ、ひとりで帰れるよ、と言って、金井 優穂はお家でみんなでご飯を食べなよ、雨に濡れたら風邪を引くよ、と言ってあたしの部屋を出 て行くと、そのままひとりであたしの親に声をかけて店を出て行ってしまった。 あたしはそのとき、雨の降る外に目をやらず、彼女を見送ることもできずに、フェイに教わった膝 を組んで座る、座り方で雨の音だけを静かに聞いていた。 いままで起きていたこと、それはすべて夢なんじゃないか、と思うたびフェイに噛まれた乳首が疼 き、フェイの笑顔が思い浮かんだ。 その後、あたしがフェイに会うことは二度となかった。フェイからの連絡もなかった。学校の帰り 道、雨の日の帰り道、学校を卒業して仕事から帰る道、フェイに出逢うことはなかった。 いまだにフェイが何者かもわからないままだし、あのとき何でセックスを途中で止めたかもわから ないままだ。それでもフェイのことを想い出すたびに、噛まれた乳首のことや驚くほど綺麗なボデ ィラインのこと、キスの巧さやおかしな喋り方を想い出す。 フェイと出逢ってから、あたしはほんの少しだけ人生が変わったと思う。15分だけ先に進んだ 生き方ができるようになった気がする。 少なくとも、シアトル・コーヒースタンドのシナモン味のパンよりはセックスを好きになれた気がする し、前ほど腕を切らなくなった。そのかわりにインターネットで個人輸入した薬を飲むようになり、 人ともずいぶん話すようになった。そして、フェイが、生きなさい、と言った20歳の誕生日を数年 前に黄金町で迎えた。 あたしが20歳の誕生日を迎えた日、横濱全域に渡って激しい雨が降り注いだ。あたしは雨に濡 れながらフェイを待っていた、たぶん。 後から地元のローカルテレビ局の番組で知ったことだけど、海外で活躍している神奈川出身の モデルに、シャロン・フェイという人がいるらしい、でもその人があたしの知っている人かは、わか らない。フェイを想い出す日は、何故だかいつも雨が降る。だから今日も、夕立。 |
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THE END |
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