天使が堕ちた街 |
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最近、よく記憶が飛ぶ。 実際記憶が飛んでしまっているのか、それすらもわからない状態かも知れない。 いつ頃からか突然に頭痛が始まってそれ以来、痛みは激しくなる一方で初めは効いていた鎮痛 薬もほとんど効かなくなってきた。 頭痛と記憶の消失の関係は確かだと思う。ただ記憶が消えるタイミングはよくわからないが頭痛 が治まっているときに消えていくような気がする。ただ記憶が消える瞬間は、当然覚えていないし 気がつくと頭痛は治まっている。だから、そう思っただけ。 もう、私自身の存在の価値や存在の証明は不可能なぐらい、私の記憶は薄められて、私自身 が希薄になっている。 いつ頃だったかもう曖昧だけど、気付くと私はどこかの教会にいてあたしの目の前には天使の絵 が飾られていた。描かれた天使はミカエルの降臨、という絵で熾天使ミカエルが雲の上から降りて くるところを描いた絵だった。 私はもう既にその頃から、自分が誰だかわからないような状態になっていたから自分の名前す らもいい加減だった。だから、突然目の前に現れた天使の絵が印象的で、おかしいぐらい私のク ラッシュしたハードディスクにイメージが焼き付いてしまって、これだったら忘れないだろうと思って その日から私は天使の名前を名乗ることにした。ミカエル。それが私の名前で普段は美香と名乗 っている。本当の名前は忘れてしまった。 私は驚くぐらい自分自身のことを知らない。漠然と私には姉妹がいることは覚えているけどそれ が姉か妹かは覚えていない。私は日本人だけど英語が喋れる、でもどこでどうやって覚えたかは わからない。頭痛と記憶の消失が始まって以来、私の精神は破綻していった。 もともと私がどんな人間かなんてわからないけど、少なくてもいまの私よりはまともだったと思い たい。私はひとつ記憶が消えるごとにひとつ壊れていく。服は総て処分してしまった、だから服は 自分で作った。オカダヤで揃えた材料をリサイクルセンターで貰ってきたミシンで縫い合わせてた くさんドレスを作った。 私の頭痛が治まるときは、ゴシックロリータのドレッシィな服を作っているときと、自分とは無関係 の女の子を痛めつけているときと、ゴム張りの自作の黒い部屋でゴムの匂いとゴムの肌に包まれて クスリに浸っているときだ。 初めは記憶が消えていくのが怖かった。大切なことも嫌なことも総て、手のひらで掬ったサラサ ラの砂が指の隙間から零れていくように、私がいくらその砂を掬い直そうとしても流れ出していく砂 は止まらない。 記憶の消失から逃れるために、私は総ての感情を閉じようとした。私はゴシックロリータのお人 形になり、パントマイムを始めた。何も喋らずただ踊り続けお客に挨拶をするだけの存在になっ た。ただ感情を閉じた瞬間から、感情の消失も始まった。 だから私は何も感じない鈍感な人間になりつつあった、感情を閉じたくせに完全な人形になって しまうのは嫌だった。それは私が私であることを否定するようで、何より自分の手で自分の存在を 消してしまう行為は悔しかった。必死に私は新しい感情を生み出そうと努力した。 感情を生み出そうなんて思う人はいないと思う。いまの私は、私が作り出した感情だけに支配され ている。だから、私の精神は破綻していくばっかりだ。 初めは笑うことから始めた。楽しい、嬉しい、おかしい、そういうときに笑うのが人間だ。 私は色々な局面で笑ってみた、でも上手く笑えなくて私はあるとき、毎日私に挨拶してくれる、私 の住むマンションのそばに住む女の子に挨拶を返す代わりに、死んでしまえ、と囁いてあげた。そ うしたら、その女の子は悲しそうな顔をして私を見つめたので、私は嬉しくなって自然に笑うことが できた。でも次の日からその女の子は私に挨拶はしてくれなくなった。だから私はその女の子が私 にちゃんと挨拶できるように、テレビで見たとおりの犬に挨拶を教えることと同じことをしてみた。 私はまず女の子のことを叩いて私にだけ注目するようにして、私に逆らったり生意気な態度をと らないようにしつけた。初めは叩くのが良いと思っていたけど、顔を叩く振りをした方が女の子は良 く言うことを聞くことがわかったからもう叩かないようにして、お前は牝犬なんだから挨拶をしない と、お仕置きされてしまうんだよ、と教えた。すぐに女の子は私に挨拶をするようになって、私は嬉 しくてまた笑った。私はそうやって自分なりの感情を築いていった。そして、こうやって女の子をい たぶっている間は頭痛が嘘のように治まることを知った。 当然私は痛みから逃れるために女の子をいたぶり続けた。いつでもいたぶれるようにちょうど良 さそうな女の子を見つけたら自分の部屋に連れてきて、ちゃんと飼い慣らして繋いでおくことも忘 れなかった。こうしておけばいつでも女の子をいたぶれるし、女の子が一匹壊れてもすぐに新しい 女の子をいたぶれることができる。たぶん私が壊した女の子は七匹ぐらいだと思う。 最初の頃は叩いたり蹴ったりして壊してしまったけど最近は女の子自身が勝手に壊れてしまって、 ずっと笑い続けたりオシッコを流し続けて邪魔なので、そういう壊れた女の子は生きている価値は ないのでゴムで全身を塗り固めてマネキンにして処分してしまう。 女の子を壊す瞬間、私は記憶の一番白い場所に微かに焼き付いた姉妹の面影を、たった一瞬 だけ思い出す。本当に私に姉妹がいたか、とかどこで暮らしていたのか、ということは覚えていな いけど確かに私が一瞬だけ思い出す女は私の姉妹だ。その女は私とまったく同じ姿をしている。 私が壊れてしまった原因はその女にあるような気がする。幼いときの虐待が私を壊したのかも知れ ない。私の股間には何故かペニスが生えている、記憶の中の女にもペニスは生えていて、たぶん それは私達が双子か何か同じ情報で作られた人間であることを表しているんだと思う。 私は日に日に黒い部屋で過ごす時間が長くなっていくような気がする。時間の感覚とかは失わ れつつあるから、そう思うだけかもしれないけど私はゴム張りの黒い部屋で、ウォーターベッドを応 用して作らせたゴム張りのソファに体を沈めてただ過ごしている時間が一番心地良く、痛みから逃 げられる時間だ。 私はその部屋で、黒いギチギチのラバースーツに身を包んで、鎮痛剤の点滴を腕に打ちなが ら黒いウォーターソファに身を沈める。そして、私の神経や理性を麻痺させる甘いガスが詰まった ガスボンベにホースが繋がれたガスマスクを着け、私はまどろむ。 そんな現実と非現実の区別が付かなくなった私はきっと、だらしなく全身の体液を垂れ流し続けな がらオナニーに耽っているかも知れない。 点滴液が総て体に吸収され、甘いガスが完全に尽きた頃私は永い夢から目覚めたように、激し い頭痛の嵐に揺り起こされる。私の揺り籠を揺らすのはマザーの手ではなく激しい脳の嵐だ。ブレ インストーム、私の脳内で起こる痛みの嵐。 目覚めの一杯は、何よりもミネラルウォーターを電気分解した水のクラスターが分解され活発化 したアルカリイオンの水が良いという。だから私は25万円の整水器で作ったその水にピュアアップ ルのフレーバーを加え、発泡鎮痛剤のアルカセルツァーを溶かしまるでアップルタイザーのように して喉を刺激する。乾ききってドロドロした口腔や喉を炭酸は優しく癒してくれる。それは真夏の灼 熱に陽炎揺らめかせる、溶けきったアスファルトの街を吹き抜ける緑の風の清々しさのように、私を 癒す。 いま私を殺そうとすれば簡単に殺せるほど私は衰弱しきっているし、抵抗しうるだけの力なんて ない。だから私を殺そうと思えば私の飼い馴らした牝犬たちだって、私を殺して自由になることは 可能だと思う。でも牝犬たちは私を、裏切れない。それは理屈ではなくそういう状態にあの女の子 達が陥っているからだ。 でも、私を殺すのはそういったどうでもいい存在ではなくて、例えば自分自身だったり記憶の果て に存在している、私と同じ姿をした女だと思う。 本当は私はその女を殺さなければいけないのかも知れない、もしかすると私達は殺し合って生き 残った方が本当の私になれるのかも知れない、と最近思うようになった。 もうすぐあの女は私を殺しに来るだろう。そして私は抵抗できず無惨に死んでいく。ただ、あの 女が私とまったく同じ構造と情報でできている人間ならば、あの女にだって私と同じ脳の嵐が起こ っているはずだ。たとえいまは起こっていなくても、先天的な遺伝子情報でプログラムされた脳の 嵐だと思うから、私を殺して生き残ってもきっと近い将来、あの女は私と同じ激痛を抱えたままどう しようもなく勝手に死んでいくはずだ。 私はアルカセルツァーで作ったアップルタイザーを飲み干すと、私の一番お気に入りの金色の 巻き髪のウィッグと白い天使の羽根がついたランドセル、そして黒のシルクで作ったゴシックロリー タのドレスを着て、私は部屋を後にした。もう、戻らないかも知れない。私の牝犬達、私がいなくて も生きていきなさい、そう思いながら部屋を出た。 部屋を出ると南青山の住宅街は静かな夜に包まれていた。珍しく空には星が見えて、金星が 痛いほどに輝いていた。 私はスパイラルの近くまで来て、お気に入りのポーチを忘れたことに気付いたがそのまま銀座線 の階段を下りていった。今夜は、渋谷へ、行こう。 たった数分の地下鉄の列車内は、天国への階段のように長いようで短く短いようで長い不思議 な感覚を私に感じさせた。でも今夜の渋谷の駅は不思議なぐらい人が少ない気がした。 私は渋谷に行けば人の波で揉まれて思考を停止させられる、と考えていただけに人の少ない渋 谷の駅は何だか気の滅入りさえ感じさせた。 私が駅構内のとある階段を上っているときだった。ふと見上げた最上段に、恐ろしく髪の長い黒 い服に身を包んだ私にそっくりな女が力強く、立っていた。女は初めから私の視線をとらえるよう にこちらを見下ろしていた。 私が最上段から数えて二段下の段に足をかけた瞬間、最上段の女は私に、もう終わりにしない か? と尋ねるように声をかけ、アンタの夢を見るのはもうたくさんだ、と呟いて太い銀の指輪がい くつもはめられた拳で私を殴った。私は一瞬の揺らめきを感じたが手摺りに掴まることで耐え凌ぐ ことができたが、すぐに鋭く重い蹴りが私の胸に沈み、それは鋼鉄が先端に詰まった安全靴によ る激しい蹴りで、私は簡単に階段から身を宙に浮かせた。 私が宙に身を浮かべた瞬間、私の失われた記憶が総て鮮やかに再生して、光速のスライドショ ウとなって私の目の前を通過していく。それは光の筋のように私の目の前を流れていく、まるで車 窓の景色のように。 宙に身を浮かべている瞬間は、噂通りとてつもなく永く。その人の一生の永さと同じ時間が圧縮 されていることに気付いた。私は圧縮された一生の中で、その女の名前を思い出した。 その女の名前は「魔・沙・斗」女は地に堕ちていく私を見下ろしながら、青い箱から取り出した煙草 を口にくわえ、軽くふかした。貴女は、その煙草が好きだったね。 私は、もう一度、空に近づいた。そんなことを思い背筋に激しい衝撃を感じながら、一塊りの血 を吐いた。 |
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THE END |
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